あった週明けでした。
会社の若い社員さんが交通事故で、週末に亡くなられたりとか。
朝、私が出勤してロッカーに向かう頃が、その人の始業前のタバコを吸い終わってる頃なので、そこで入れ違いになる時に朝の挨拶をするのが「いつものお約束」でした。
もう、それが行われることはありません。
当たり前の光景が、そうでなくなる瞬間というのは、この年齢になると多くありますが、さすがに「若すぎたよ…」という、普段の私なら、絶対に言わない感想が口から出ました。
「棺桶に片足つっこんでるから、時間が残されてないもんで」といつもいう病人の私がひとまわりも年下の人を見送ることになるとは思いませんでした。
なんというか、ますます私の頭の中で響くものが。
だから、明日には何があるか分からないのだから、読みたい本を読んで泣いて、着たい服を着て行きたいところに行って、会いたい人に会って、くだらないこと話ながら食べたいもの食べて、笑っていよう、と。
「定年後のお楽しみにしておくよ」と皆が言うが、こちとらその時を迎えられるかどうかも分からないので、日々が本番モードです。
とりとめもないことを書きましたが、そんな週明けでした。
会社の若い社員さんが交通事故で、週末に亡くなられたりとか。
朝、私が出勤してロッカーに向かう頃が、その人の始業前のタバコを吸い終わってる頃なので、そこで入れ違いになる時に朝の挨拶をするのが「いつものお約束」でした。
もう、それが行われることはありません。
当たり前の光景が、そうでなくなる瞬間というのは、この年齢になると多くありますが、さすがに「若すぎたよ…」という、普段の私なら、絶対に言わない感想が口から出ました。
「棺桶に片足つっこんでるから、時間が残されてないもんで」といつもいう病人の私がひとまわりも年下の人を見送ることになるとは思いませんでした。
なんというか、ますます私の頭の中で響くものが。
だから、明日には何があるか分からないのだから、読みたい本を読んで泣いて、着たい服を着て行きたいところに行って、会いたい人に会って、くだらないこと話ながら食べたいもの食べて、笑っていよう、と。
「定年後のお楽しみにしておくよ」と皆が言うが、こちとらその時を迎えられるかどうかも分からないので、日々が本番モードです。
とりとめもないことを書きましたが、そんな週明けでした。
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